*アスキラ*



 春になると、それまで眠っていた草木が一世に芽吹き始める。人目を避けるように建てられた庵は、まるで人の世から隔離されたようになった。
 日が傾きかけると、待っていたかのように虫の音も響き始める。その響きは、秋の虫のように涼やかではない。まるで機械音のように、ジーっと少しの抑揚もなく、ただ鳴いている。
 その音を響かせている主の正体を、キラは知らない。知りたいと思ったこともない。ただ、普段は気にも留めないその音を、ふとした拍子に聞きとめてしまっただけだ。
 何の面白みもないその音になぜか心惹かれ、キラは縁側の木戸を、少し横へずらした。
 暗さになれない目は初めただ真っ暗な闇だけを映していたが、やがて瞳は様々なものを映し出す。
 ジーっという虫の音を聞きながら、キラは見るともなしにそれらを見る。
 数えられないほどたくさん植えられた植物の名も、形よく置かれた石の価値も、キラにはわからない。わかるのは、吸い込むと肺を縮ませる冬の空気とは違った、優しく包み込むようにしっとりとした春の空気だけだ。
その空気を肺いっぱい吸い込むと、ほのかに甘い香りがした。その香りにつられて、何日か前の会話が思い出されて、キラはクスと笑った。

 もうすっかり慣れてしまった情事の後、キラはちょうど今と同じように木戸に頭をもたれさせて、ぼんやりと外を眺めていた。襦袢を羽織っただけの体には、春の夜の空気はまだ少し肌寒く感じられる。
「もう春だね。」
 背後から、キラのしどけない姿とは打って変わってすっかり身支度を整えたアスランが、穏やかな声で言った。
「うん。そうだね。」
 自らの欲を満たし終えると、もう用済みとばかりにこの庵から去る情人が恨めしくて、知らず返事がそっけないものとなる。それを知ってか知らずか、アスランは変わらず穏やかに続ける。
「キラがこの家に来たのも、春だった。覚えてる?」
「忘れるわけないよ。」
 母が亡くなり傷心に打ちひしがれていたキラを、この目の前の男は容赦なく陵辱した。痛みと恐怖で声も出なかった。
「あのとき、お前は俺に『殺してやる』って言った。それも、覚えてる?」
「覚えてるよ。」


 受け入れさせられた負担で気を失ってしまい、気がついたのは翌朝だった。人でなしにも罪悪感というものがあったのか、それともただの気まぐれか、二三日の間、アスランは傷ついたキラを献身的に介抱した。だが無論そんなことでキラの屈辱が消えるわけではない。
 どこか楽しそうに食事を持ってきたアスランに向かって、キラは枕を投げつけた。この男に介抱されるぐらいなら、餓えて死んでしまったほうがましだとさえ思った。
 それまでおとなしくしていたキラの突然の攻撃に、アスランは不思議そうな顔をした。
 その顔が憎くて憎くて、怒りで脳みそが沸騰するような心持がして、思わず叫んだ。


 いつかお前を殺してやる、と。


「今も、殺したいと思ってる?」
「別に……」
 正直キラには自分の気持ちがよくわからなくなっていた。今自分がアスランに対して想うこの気持ちは、憎しみではない。だが、憎しみに似通った、すごく強い想いが ある。それはまた、相手を殺してしまいたいという気持ちとも、よく似ているような気がする。
「…ふ〜ん。そうなの?」
いつの間にか、キラのすぐ後ろまで来ていたアスランは、キラと並んで縁側に腰を下ろす。
 そのままどちらも口を聞かず、春風に草木がざわめく音だけが、世界に満ちている。
しばらくして、不意にアスランが闇を指指した。
「あの花、何か知ってる?」
人差し指の先を辿ると、白い大きな花がいくつか不自然に浮かんで見えた。
「知らない。何?」
「白木蓮、だよ。」
「ハクモクレン?」
「そう。モクレン科の木で、中国が原産。花弁とガク合わせて9枚の花皮を持つ。」
アスランは普段は無口なくせに、突然こういった風に講釈を始めるときがある。だから驚きはしない。しかし、何故そんな話をするのか、いつもキラにはさっぱりわからない。
「それが、何?」
「あの花、何に見える?」
アスランが何を言いたいのか、益々わからなくなる。
「だから、ハクモクレンの花なんでしょ?」
「……人魂、みたいに見えない?」
「はあ?」
理知的な唇から紡ぎだされた、あまりにも彼に不似合いな発言に、キラがいぶかしげにアスランを見る。
「昔、父に内緒でここに来たことがあるんだ。そのとき、ここには誰もいないはずだった。父は、君の母上しか愛人を持たなかったからね。それなのに、明かりが灯っていたから、気になってこっそり庭を通って見に来たんだ。」
「それで?人魂が飛んでたの?」
「違うよ。」
見も蓋もない言い方に気分を害したのか、アスランは不貞腐れたようにそのまま仰向けに寝転がった。
「怒った?冗談だよ。続き話してよ。」
媚の含まれたその声音に、一つため息をつくとアスランはまた話し出した。
「お祖母様がいたんだ。さっきのキラみたいにぼんやりと外を見ていたから『どうしたんですか?』って聞くと『木蓮を見ていた』と言うんだ。『木蓮がどうかしたの?』ってまた聞くと『あの白木蓮は、妾として囲われて、日陰者として冷遇されて死んでいった人たちの無念の魂なんだよ。』って。そう言う祖母の顔が、暗闇に浮かび上がるみたいにぼおっと白く光っていて、俺はそのまま怖くなって部屋に帰った。頭から布団をかぶって、必死に楽しいことを考えようとしてるうちに眠ってしまって、朝が来た。寝不足でだるい体を引きずって朝食の席に着くと、祖母がいないんだ。それなのに、誰もそれを気にしてないんだ。だから、お祖母様はどうかされたのか、と聞くと皆きょとんとした顔をして、その後どっと笑った。そして父が笑いながら、お祖母様はもう亡くなったじゃないかと言うんだ。言われて、祖母がもう2年も前に死んでいたことを思い出した。そうしてゾッとしたよ。昨夜俺が見た祖母はなんだったのか、と。」
「へえ。ってことは、つまりアスランはお祖母さんの幽霊を見たんだ。」
件の白木蓮の花をじっと見ていると、なんだか本当に人魂のように見えてきて、怖くなって目をそらす。
「まあ、簡単に言えばそうだ。後で知ったんだけれど、祖母はどうやら祖父の元愛人らしい。正妻が死んで、愛人としてここに囲われていた祖母が、正妻になった。でも、正妻になっても周囲の冷たさは変わらずに、3年ぐらいしたらストレスから病気になってしまい、結局僕が6歳のときに亡くなった。」
「へえ。不憫な方だね。」
同じ囲われの身の自分が同情するのもおかしなものだと思ったが、他に言うこともない。
「…キラ。」
「ん?」
「……俺は、お前のことを殺したい、と思うときがある。」
「は?いきなり何言うんだよ。」
今日のアスランは変だ。話に全く脈絡がない。
「祖母は、祖父を愛していた。だから、どんなに冷たくされてもこの家から出たくなかったんだ。死んでさえも、この家から離れられなくてあの白木蓮にさまよってる。キラもそれぐらい強く、俺のことを思ってくれたらいいのにな、と思って。」


今思えば、それは不器用な彼なりの愛の告白だったのだ。しかし、そのときはアスランが何を言っているのかさっぱり理解できなくて、何も答えなかった。


アスランは、何も答えないキラをチラリとみると、起き上がって庵を出て行った。
それから、まだ一度もここに来ない。
「白木蓮、か。明日はアスラン来るのかなぁ…」
つぶやくと、キラは立ち上がり木戸を閉めた。

春はもうたけなわである。



エロ欠くために作った設定なのに、エロじゃありません。
なんででしょう?おかしいなあ…。でも、これはこれで自分としては結構気に入っています。

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