■メランコリィ■
ラクスが仕入れてきた話は、初めからどこか胡散臭かった。依頼人の言うたった一つの条件さえ受け入れれば、こちらの生活を全てまかなってくれるというのだ。住居から生活費、果ては報酬として莫大な金額が提示されていた。 無論ラクスは頭のいい女性なので、この話が胡散臭いことは感じていたのだろうと思う。しかし、如何せん俺たちには金が必要だった。 ラクスは生まれて間もないころに両親を亡くした。しかし、ラクスの両親は道ならぬ恋で駆け落ちをして一緒になったので、当然ラクスを引き取るという家は現れなかった。そこで、母親同士の交流があった俺の家に引き取られた。彼女には、ザラの家にふさわしい教育がなされたが、それ以上のものは何も与えられなかった。俺の父親はとても偏屈な人間で、ザラ以外の血筋のものにザラ家の財産の一部が使われていることがひどく気に入らない様子だった。ラクスは厳しい生活に耐えた。俺の家に引き取られたのが、彼女にとっての幸せだとは思えなかった。外の世界と関係を持つと、要らない知識を与えられるという父の言葉により、館から出ることも許されなかった。 俺は、彼女がかわいそうでならなかった。何とかしてやりたいと、いつも思っていた。ラクスはしかし一言の不満を漏らすことさえなく、16になるまで静かに暮らしていた。 ところが、そんな彼女に父はさらにひどい仕打ちを仕掛けてきた。彼女に結婚をしろと迫ったのだ。相手は、数年前大陸で鉱山を発見し今や飛ぶ鳥を落とす勢いの、ムルタ=アズラエルであった。アズラエルは、商才こそ人並みはずれているけれども、女好きで有名な男だ。何ヶ月か前など、何とかという家の妻と関係を持ち、その夫に撃ち殺されそうになったといって、社交界で噂になっていた。そのような男にラクスを嫁がせるなど、一体何をお考えなのかと父に問いただしたところ、彼はこう言った。 「アスラン、お前ももう16だ。世の中のことがだいぶ分かっているだろう。今我が家には金がない。いや、我が家だけではない。貴族全体に金がないのだ。我々は貴族という身分の上に胡坐を掻きすぎていた。湯水のように金を使い、しかしそれがいつか尽きることがあるなどとは、考えもしなかったのだ。領地からの収入があるといっても、それ以上に金を使えばすぐに生活は立ち行かなくなる。だが、我々貴族はいやらしい労働階級のように働くことなどは出来ん。働くなど、恥だ。そこでだ、最近貴族の称号を売る者が増えている。肩書きは、実際金儲けの役には立たんが、それでも箔をつけるのには十二分に役に立つ。私も一度は貴族の称号を売ろうと考えた。ちょうどそのとき、アズラエルが私のもとにやってきたのだ。私は奴を好く思っていなかった。どんなに金持ちになろうとも、所詮は我々とは違う。卑しい成り上がり者だ。追い払えと命じたが、奴はどうしても話したいことがあるのだと言い、決して帰ろうとはしなかった。門の前で、何時間も立っている。そのようなことが噂にでもなったら、あまりよくない。ザラ家の信用に関わる。仕方なく私は、アズラエルを応接室に通すように命じた。そのとき初めて奴の顔を見たが、なかなかの男ぶりであったよ。成り上がりのものにしては上品だった。話し口調は、まぁさすが一代であれほどの財を成した者と言うか、ずる賢そうな口調ではあったがね。奴は言った。『ザラ様は、このお屋敷に一羽の美しい小鳥を飼っておられるそうですね。私はどうしてもそれが欲しくなってしまい、こうしてわざわざ押しかけてきた次第です。どうでしょう。私に小鳥を譲ってはくれませんかねぇ。このお話、決してザラ様にも損なお話ではないと思いますが。』私は正直驚いたよ。ラクスをこの屋敷から出したことなど一度もない。しかし奴は知っていたのだ。どのように調べたのかは知らんがね。まあ、人の口に戸は立てられない。ラクスという人間が実際に存在している以上、情報はどこからでも流れ出す。私が何も答えずにいると『突然でしたので、ザラ様にも時間が必要でしょう。本日は、これで失礼いたします。次にお会いするときには色よいお返事をお待ちしております。』と言って、案内もさせずにさっさと自分で扉を開けて出て行った。私は悩んだ。しかし、ラクスはこの家のものではないのだ。それを、両親がいなくて不憫だろうと我が家で引き取り、教育までさせてやった。彼女はどこに出しても恥ずかしくない女に育った。彼女がアズラエルと結婚すれば、我が家には金が手に入るし、アズラエルはザラ家という大きな後ろ盾を手にすることが出来る。財政が少々苦しくなったとはいえ、ザラ家の力はまだまだ衰えてはおらん。ラクスがわが家に少しでも恩を感じるのなら、この話受けぬわけがあるまい。それに、アズラエルの妻になれば買えぬ物は何もない。我が家で鳥かごの小鳥のように暮らすよりはよほどいいだろう。」 「父上!では、ラクスを金で売るということですか?!」 「そのような表現をするな、アスラン。貴族の娘なら政略結婚など当然のことだ。」 「娘などとよく言えましたね。あなたは、ひとかけらの愛情もラクスに注いだことはないではありませんか。それを、こんなときにだけ利用するなど恥ずかしくはないのですか?!ラクスをかわいそうだとはお思いになられないのですか?!」 「アスラン。いつまでもそのような子供じみたことばかり言って私を困らせるな。早く大人になれ。」 その言葉に、俺はこれ以上父と話しても無駄だと悟り、父の部屋を出た。 ラクスの部屋をノックすると、メイドがすぐに扉を開けた。部屋に入ると、ラクスは窓際に座りぼんやりと庭を眺めていた。 「すみません、ラクス。父と話をしてきたのですが、力が足らず…。」 そう言うと、ラクスはくるりとこちらを向いてにっこりと微笑んだ。 「いいのです、アスラン。私はパトリック様には本当にお世話になっています。彼が望むのならば、私はそれに従います。意に沿わぬ結婚でも仕方ありませんわ。」 「そんな!ラクスもアズラエル氏のことはご存知でしょう?あんな男とラクスを結婚させるなど私にはできません。」 「アスラン。お気持ちはうれしいのですがそのようなことを言ってはいけませんわ。あなたは時期ザラ家の当主になるのでしょう。さあ、もうお部屋にお戻りになってください。」 結局、ラクスにもそのように言われ俺はズゴズゴと自室に戻った。それからも、何とかラクスを助けるすべはないかと考えた。ラクスを助けたいというより、傲慢で思いあがった父に自分の力を認めさせたかったのだ。 そして、俺はとうとう最終手段に出た。裏工作などが出来ない俺には、これ以外に方法が思い浮かばなかったのだ。 新月の晩ラクスをこっそりと連れ出した。 眠っているラクスに薬をかがせるのは簡単だったし、彼女は寝るときにメイドを部屋に置かない。窓からこっそり入れば、誰にも見つからずに連れ出すことが出来た。あらかじめ準備しておいた馬車に乗り込み、どこという当てもなく、とにかくザラの屋敷から遠ざかろうと馬車を走らせた。ラクスは途中で気がついたが、状況がすぐに飲み込めたのか、取り乱したりはしなかった。 これだけくれば大丈夫だろうと、走り出して三日目の町で俺は馬車を止めた。しかし、その後一体どうしたらいいのかちっとも分からなかった。馬を放してやりながら途方にくれていると、 「取り合えず、今日泊まるところを探しましょう。」 といってさっさと歩き出してしまった。 その後は、俺はほとんど彼女の言いなりだった。ラクスは俺が持ってきていた財産を金に換えると、古びたアパートを借りてきた。そして、俺とラクスはその家に住み始めた。 ラクスは俺の家から一歩の出たこともなかったくせに、いつもどこからか仕事を探してきた。おかげで、さすがに以前のような暮らしは出来なかったが、食うに困るようなことはなかった。なれない仕事に初めは戸惑ったが、力を使う労働というよりは、頭脳労働といったような仕事ばかりだったのですぐになれた。 ところが、どうしたことかある時から急にラクスが仕事を持ってこなくなった。どうしたのかと不思議に思ったが、数週間は食べていけるだけの金があったので何も言わなかった。彼女も疲れているのだろうぐらいに思っていた。俺はもちろん、仕事の探し方など分かるはずもなく久々に家でのんびりした時間を過ごした。だが、その後しばらく経ったがラクスは一向に仕事を持ってくる様子がなかった。さては仕事が見つけられないのかと、町へ出て自分で探してみたりした。やはりどこへ行って何をすれば仕事を紹介してもらえるかが分からなくて、結局断念せざるを得なかった。家に帰って、ラクスに聞いてみた。もっと早く聞けばよかったのだけれど、ラクスの張り詰めた雰囲気になんとなく聞くことが出来なかったのだ。 「ラクス。あの、自分で探すことが出来ないくせにあなたにこんなことを聞くのは気が引けるんですけれど、最近仕事はどうなっているんでしょうか。そろそろ何かしないと、食事をすることが出来なくなってしまうと思うんですが…。」 ラクスは俺をじっと見つめた。そして、何かを決心したかのように一度口をきゅっと引き結んでから言った。 「……アスラン。今まで黙っていて申し訳ありませんでしたわ。でも、あなたには言わないほうがいいと思ったんですの。ごめんなさい。最近あなたに仕事を紹介できないのは、私が仕事を回してもらえないからですの。仕事を紹介してもらうには、特にわたくしたちのような公の場に姿を出すことの出来ない者たちには、そういう専用の情報屋のようなものがいるのです。わたくしは、いつもそこに行って仕事を紹介してもらっていたのですが、この間突然、もうわたくし達には紹介することが出来ないと言われました。詳しく話を聞くことは出来なかったのですけれど、これはアスラン。あなたのお父様の仕業に違いありません。追っ手が来ないのでおかしいとは感じていました、がまさかこのような手段に出られるとは思いませんでした。パトリック様は、ご自分が力を使って私たちを無理やり屋敷に連れ戻すということをなさりたくないのです。そのようなことは、醜聞になりますから。でも、わたくし達自ら戻ってきたのならば、なんとでも言い訳は立つでしょう。しばらくの間留学させていたとか療養に田舎へ行かせていたとか。おそらく、今も周囲へはそのように言ってあるのだと思います。仕事がなければ食べることができませんから、わたくし達はザラ家に戻るしかありません。どうすればよいのでしょう。元はと言えばわたくしの責任です。本当に申し訳ありません。」 「いえ、私のほうこそ何も計画せずに父絵の反抗心からあなたを連れ出してしまって、本当に悪いことをしたと思っています。」 「いいえ。わたくしは、アズラエル氏と結婚など考えたくもないと思っていました。だから、アスランが連れ出してくださったのがうれしかったのです。いえ、むしろ連れ出して欲しいと望んでいたのです。とにかく、終わってしまったことを考えても仕方がありませんわね。今何をすべきかを考えましょう。わたくしは明日もう一度情報屋に行ってまいります。アスランは新聞の仕事の募集欄でも見てみてください。そこからでも、仕事を探すことは出来ますから。ただ、わたくしたちを雇ってくださるところは、どちらにしろないと思いますが。」 と、そこまで話したときに不意に玄関のドアが音を立てた。父の追っ手がいつまでも帰らない俺たちに痺れを切らして家まで来たのかと、警戒しながら扉を開けると、揉み上げが特徴的な厳つい男が立っていた。 「ラクス・クライン様でいらっしゃいますか?」 その男は、口調こそ丁寧であったが動作に訓練されたらしい機敏さがあった。やはり父の手のものかと身構えたが、ラクスはそんな俺をそっと手で制すとふわりと微笑んだ。 「ええ、そうですわ。わたくしに何か御用ですかしら?」 「我が主がラクス様に一つ、お願いしたい仕事があると申しております。表に車を待たせてありますので、ご同行願えますか。」 「お仕事をご紹介していただけるのは大変うれしいのですけれど、あなたの主というのが一体どのようなお方なのか、どのようなお仕事をご紹介くださるのか。何も聞かされないまま、そちらにお邪魔することはできませんわ。」 俺は、初めて見たラクスの仕事上の顔に驚いた。屋敷にいたときの柔らかな笑顔はそこにはなかった。厳しい世界を生きる、一人の毅然とした女性がそこにいた。 「し、失礼しました。私は、クルーゼ家のラウ・ル・クルーゼ側付きのアデスであります。主であるラウ・ル・クルーゼは、情報屋からラクス様が仕事をお探し中であることを伺って、こうして私を遣わしたのでございます。失礼ながら、ラクス様にもいろいろと事情がおありのようで…。こちらの身分を明かすのはやぶさかではありませんが、仕事内容はどうか私とご同行されて主から直接お聞きください。あまり公にはしたくないので、お引き受けくださるという約束していただいてからお話させていただきます。」 「……わかりました。このお話お受けいたします。ただ、ひとつだけお伺いしたいことがございます。」 ラクスは、長い時間考えるわけでもなしに了承した。 「なんでしょうか。」 アデスは、ラクスが了解したことがうれしかったのか、鼻の穴が大きく膨らんだ。この男を側近くに仕えさせるラウ・ル・クルーゼとは、一体どんな男だろうかと思った。 「報酬はどのくらいただけるのでしょうか。そのように世間の目を避けたいとおっしゃるようなお仕事ですもの。きっとこちらにも相応のリスクがかかるのでしょう。こちらのこともいろいろとご存知のようですし、もちろんリスクに見合った報酬がいただけるのでしょうね。」 「もちろん。そのことについても主から詳しくお話させていただきますが、そちらに満足していただける金額であることだけは保証します。」 「わかりました。では、準備をしてまいります。ご覧の通りのせまいアパートです。応接室もございませんので、失礼ですがこのまま少々お待ちください。」 そう言ってラクスは自室へ入っていった。 俺とアデスの二人が半畳ほどの狭い玄関に取り残された。 生来人見知りが激しい俺は、もちろん今日初めて出会った人間と―しかも何だか怪しげな―気安く話すなどできるはずもなかった。アデスもよく躾けられた使用人らしく、主の用事以外の無駄なおしゃべりに興じる趣味はないようだった。両手を前で組み、背筋をピンと張って立っている。微動だにしない。 手持ち無沙汰になった俺は、失礼かとも思ったが彼の側を離れてラクスの部屋へと向かった。失礼と言っても、アデスは所詮使用人なのだから問題ないだろうとも思っていた。それにしても、ラクスに比べて俺はなんて情けないんだろうと情けなくなった。これでは俺は、まるでラクスのヒモだ。 「ラクス?入ってもいいですか?」 どうぞ、と応えがあったのでギイと軋む扉を開けた。ラクスはすでに着替え終わり、準備が済んだようだった。 「ラクス、一体どういうつもりです。あんな、明らかに怪しい男の依頼を受けるなんて。大丈夫なんですか?」 「恐らくは。なんと言ってもラウ・ル・クルーゼ様はクルーゼ家のご子息ですもの。わたくしに危害を加えるようなことはありませんわ。アスランはクルーゼ様をご存じないのですか?」 「いえ、知りません。すみません、不勉強で。有名なのですか?」 「最近になって急に資産を増やして有名になってきているようですけれど、元はただの貧乏貴族ですわ。ラウ・ル・クルーゼ様はクルーゼ家現当主の第一子ですわ。ご当主は隠居こそなさっていませんが、ここ2.3年は実質的にクルーゼ家の一切をラウ様にご一任なさっているそうです。やっと名をあげてきた矢先に、家出したとは言えザラ家の人間とのごたごたは避けたいはずです。」 「…あなたは我が家に引き取られてからほとんど外に出ていないのに、一体どうしてそんなに詳しいんですか?私はクルーゼ家のクの字も知りませんでしたよ。」 「アスランはあまり経済に興味がないようでしたので、ご存じないのでしょう。それに、女はとかく噂好きなものです。私のメイドにも口さがない者たちは多くいましたから。メイドは情報を制約されているように見えて、他所のメイド仲間などからたくさんの情報を仕入れてくるようでしたわ。」 「そうなんですかぁ。」 関心のあまり語尾が間抜けに掠れてしまった。それにしても、ますますラクスとの差を感じてしまっていたたまれない。 「さあ、わたくしはそろそろ参ります。アスランはここでお待ちになってください。必ず今日中に戻ってきますわ。夕食を作って待っていてください。」 そう言い残して彼女は出て行った。俺は、自己嫌悪に陥っていても仕方がないと、家出してから唯一成長した食事作りに精を出した。 |
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