昼下がりの危ない教室
夏休みまであと一週間。昼のじりじりとした日差しが、職員室にいるディアッカ・エルスマンの背を焼いている。教師になって二年目のディアッカは、夏は暑く、冬は運動場に面した扉からの隙間風のおかげでひどく寒いという、職員室の中でも最も嫌な場所に席を置いていた。 今日やっと期末試験が終わった。ほっと一息つく間もなく、今度は山ほどある解答用紙が彼を待っている。テスト終了から帰りのHRまでのわずかな時間をも惜しんで、彼は赤ペンを走らせていた。 と、そのとき一枚の解答用紙が窓から差し込む光を反射して白く光った――ように見えた。しかし違った。それは、ほとんど白紙かと思うほど解答が書かれていない解答用紙だった。 記号が2・3、申し訳程度に書かれているだけで、他には何もかかれていない。解答用紙がおかしな具合に折り曲がっていて、明らかにテスト中に眠っていたことがわかる。 テスト問題を作るというのはなかなか大変な作業だ。しかも、ディアッカが担当している学科は、担当教師ごとのテストではなく一学年全て共通のテストなので、選任のおかしな仮面を付けた教師にねちねち嫌味を言われながら何度も何度も直してやっとのことで完成させた、汗と涙の結晶なのである。それをほとんど解かずに出す不届きなやつは一体誰だ! 問題の解答用紙の上に重なっている何枚かの紙をばさりとめくる。 そこには。2年B組12番キラ・ヤマトと書かれていた。 またキラかよ…。 ディアッカは大きくため息をつき、名前の横にこれまた大きく4と書き、残りの解答用紙をやっつけた。 1クラス分終わったところで、隣に座っているイザーク・ジュールが立ち上がった。 「そろそろ時間だぞ。」 そう言って、銀の髪を揺らしてさっさと歩き出した。 「おい、待てよ。俺も行くって。」 あわてて後を追う。イザークが担任しているクラスは、ディアッカの担任しているクラスの隣だ。同期ということもあって、冷たい外見とは正反対の、癇癪持ちのこの男とディアッカはよく行動を共にしていた。 教室へ向かう途中の廊下は日が当たらないおかげで職員室よりも幾分かは涼しい。ディアッカは職員室にぐらいクーラーをつけて欲しいと常々思っているのだが、教師が率先して生徒たちへの見本となろうという校長の方針のおかげで、それは当分叶う見込みのない願いだった。 「ディアッカ、今回の出来はどうだった?」 イザークが眉間にしわを寄せて聞いてきた。 「散々だぜ。ホントにあいつらは授業中一体何聞いてんだ?また変態仮面にいやみ攻めだぜ。そういうお前のほうはどうなんだよ?」 「俺のほうも散々だ!ここは一応進学校なのに全く。受験する気があるのかどうか疑いたくなる!」 「全くだ。」 先ほどの4点を思い出して、ディアッカはまたため息をついた。 「まあ、俺のクラスはなかなか出来るやつがそろっているから、それだけが救いだがな。キラとかな。」 「キラ?!」 「ああ、あいつやニコルの満点おかげで何とかな。」 「満点?!キラ、俺のテストで4点取ってたぞ?」 思わず声が大きくなってしまって、ディアッカは周りを見る。幸い人はいなかったが、生徒のテストの点数を大声で叫ぶなど他の教師に見られたらおしまいだ。 「ああ。あいつは教科によってムラが激しいんだ。成績表には10や9も多いが、2や3が付いているときもある。そういえば、お前のはいつも悪いな。」 イザークは、キラが一年生のときから担任しているのでよく知っている。 「悪いなんてレベルじゃねーよ。あいつきっと問題も読んでないぜ。絶対寝てた。なんか変な風に折れ曲がってたし。課題とかはいっつもちゃんとやってるのに、なんでなんだ?」 「ああ、それはあいつだ。アスランだ。写してるとか、やってもらってるとかしてるんだろ。」 「アスラン?」 それは、にわかには信じられないことだった。 アスラン。アスラン・ザラはザラ財閥の息子だった。そんなところの跡取りが、いくら有名な進学校であるとは言え、どうしてたいした特色もない公立校に来ているのかディアッカには不思議だったのだが、興味もなかったので、そんなこともあるのだろうぐらいにしか思っていなかった。性格は温厚。勉強もよくできる。授業中に生徒たちに問題を解かせるときも、多くの生徒は友人同士ああでもない・こうでもないと騒がしいのだが、アスランは1人で黙々とやっている。聞かれればクラスメイトに教えてやったりもするので、特に人当たりが悪いというわけではないようだが、自ら進んで教えてやるようにも見えない。財閥の息子だと気取った態度をとることもなく、概して教師にとってはありがたい生徒だ。去年はキラと共にイザークの担任するクラスにいたが、今年は離れた。ディアッカのクラスでもない。端正な顔立ちのお陰で女の子には人気があるようだが、友人はそんなに多くないように見えた。 「アスランがキラの宿題をやってやるのか?まさか。なんでだよ?」 「キラとアスランは幼馴染だそうだ。去年はいつもつるんでたぞ。と言うか、アスランがキラの世話をかいがいしく焼いてやっていた。キラはアスランがいないと何もできんと思っていたが、そうでもない。要領よく何でも自分でやっている。友人も多い。単にアスランが過保護だったということだな。」 「アスランが過保護ぉ?信じられねえ。大体世話を焼くって、あいつらもう高校生だそ?」 「だが、事実そうだったんだ。」 「へぇ〜。意外だなぁ…」 首をひねってアスランがキラの世話を焼いているところを想像してみたが、上手くいかない。 「……おい、ディアッカ。お前のクラスはもう過ぎたぞ。どこまでついてくる気だ。」 「え?」 言われて振り返ると、2−Cと書かれたボードが頭上で揺れている。 「じゃあな。」 そう言ってイザークが彼の教室に入ろうとしたのを、ディアッカは引きとめた。 「おい、ちょっと待てって。」 「何だ?HRなんて無駄な時間は早く終わらせたいんだ。早くしろ。」 「まあ、そうカリカリするなよ。HR終わったらキラに俺の研究室に来いって言っといてくれよ。あいつ、このままだとマジでやばい。」 「わかった。言っておく。」 ※ テストが終わってがやがやと騒がしい生徒をなだめてHRを終え、ディアッカは研究室に入った。大学の教授ではないから、研究室といっても各教科にひとつ用意されている資料室のようなものだ。共同の部屋なのだが、教師はあまりここを使わない。職員室で事足りるからだ。授業で使う資料の物置になっている。ディアッカは職員室の机の位置を考えると、こちらのほうが幾分かはマシなのでよく使っている。他の教師に邪魔されないところもいい。 答え合わせの続きをしていたら、ドアがコンコンと2度ノックされた。 「どうぞ〜。」 キイと扉を開けて入ってきたのは予想通りキラだった。 「あの、僕に話って何ですか?」 キラは教師に呼ばれた生徒が誰でもするような、警戒心でいっぱいの瞳でディアッカを見た。 「まあ、ちょっと座れよ。」 「はあ。」 居心地が悪そうに、きょろきょろしながら腰を下ろした。長めの前髪が顔にかかって、もともとの女の子のような容姿が更に際立つ。 「キラ。お前さ、今回のテスト真面目にやったか?」 「え?」 キラは途端に気まずそうに視線を落とす。 「見ろ。これ。4点だぞ?4点。しかもほとんど白紙じゃないか。お前進学するつもりなんだろ?受験科目に選択しないって言ったってセンターには必要なんだぞ。もうちょっと真面目にやれよ。」 「今回は、その…ちょっと眠くなっちゃって。」 「"今回は"じゃないだろ?前もだぞ。1年のときも悪かったみたいだし。それと、これは間違ってたら本当に悪いんだが、どうしてもおかしいような気がするから聞くぞ。」 「なんですか?」 「お前、課題さぁ、自分でやってるのか?テストに出そうなとこ選んで出してるんだから、ちゃんとやってたら、もうちょっと解けるんじゃないか?」 「あぁ…それは、まあ、その……すみません。写してます。」 「――やっぱりな。お前どうする気だ?このままじゃ本当に進級もやばいぞ?もう1回2年生やるか?」 「え?嫌です。」 キラはきっぱりと言った。さっきまでの殊勝な態度はどこへやら、だ。 「じゃあ、どうするんだ?」 「どうするんだって言われても…」 不服そうに唇を尖らせて黙りこむ。そのとても高校生男子とは思えない、可愛らしく尖った唇を見たとき、ディアッカの心にほんの少しのいたずら心がわいた。 「まあ、どうにかする手がないってわけでもない。」 「え?どうにかしてくれるんですか?」 可愛い顔をしてちゃっかりしているこの少年は、うれしそうにすみれ色の瞳を輝かせた。 「ああ。ほんのちょっと目をつぶって我慢してれば、な。」 にやりと口をゆがめてディアッカが言うと、キラは怯えたように椅子ごと体を引いた。 その予想通りの可愛らしい反応に、ディアッカは笑いがこみ上げてくるのを、机に置かれた4点の答案用紙をみながらこらえた。 「な〜んてな。冗談だよ!もう少し真面目にやれってこと…だ……よぉお?!!」 笑いながら振り向いた先には、夏服のシャツを脱いで発達途中の華奢な上半身をさらけ出したキラが立っていた。 |