メランコリィ■

ラクスは一時間ほどで帰ってきた。
俺のつたない夕食がちょうど出来上がった頃で、二人で向き合って食事をした。
「わたくし、クルーゼ様のご依頼を正式に受けたいと思いますの。でも、それにはアスランの手伝いがどうしても必要なのです。助けていただけますか?」
ラクスは、サラダを自分の皿に付け分けている俺に向かって言った。
「もちろん。私はいつもラクスに頼ってばかりですから。それより、一体どんな内容なのですか?どんなことも手伝いたいとは思うのですけれど、大勢の前で物売りをするとかいうのでしたら、きっとあまり得手ではないと思うのですけれど…。」
「あら、そんなお仕事ではありませんわ。きっとアスランに適任だと思いますの。アスランは、プランツドールというのをご存知ですか?」
「プランツドールですか?詳しくは知らないのですが、確か愛玩用に作られた生きた人形だとか何とか…。ミルクだけで生きていける…。昔、母が欲しいといっていたように思います。なんでも、プランツドール一つで家が軽く1・2軒建つとか…。違いましたか?」
「いいえ。その通りです。プランツドールとは生きたお人形のことですわ。製作者は明らかにされていないのですけれど、ものすごく高額で売買されています。少女型が基本ですけれど、まれにセクスレスも作られます。容姿はどれも素晴らしく、どれだけお金を積んでも惜しくないという貴族も少なくはないようですわ。」
「そうですか。でも、それが今回の仕事と一体何の関係があるんですか?」
生憎ドレッシングを切らしていて、もさもさとかさばるサラダを咀嚼しながら聞いた。
「それが、先方はどうやらそのプランツドールをわたくしに育てて欲しいとおっしゃるんです。」
「え?ラクスにですか?なぜ?クルーゼ氏はドールの世話をする暇もないほど多忙なんですか?ミルクをやるだけでいいんでしょう?」
「わたくしもそうお聞きしたのですが、何でもプランツドールというのは人を選ぶらしいのです。気に入った相手に出会わない限りは、ずっと眠っているとか。クルーゼ様も一度はご自分で…と思われたそうですけれど、どれも駄目だったそうです。」
「クルーゼ氏は、そんなにひどい人物なのですか?一体のドールもなつかないほど?」
「いえ、そうではなく、あの、その通りではあるんですけれど。なんと言ったらよいのか…プランツドールを育てるには愛情が不可欠なのだそうです。愛情が足りないと枯れてしまう。そういう生き物ですから、相手の本質というか、そういったものが分かるのだそうです。ですから、自分にとってよい相手とは思えないと目覚めない。クルーゼ様は、ドール愛好家というわけではないのです。ドールを育てたいとおっしゃってはいますけれど、ドールそのものが目的ではないんです。」
「ドールが目的ではない?では一体何が目的なのですか?」
「それは…明日私と一緒にクルーゼ宅へ行けばわかりますわ。わたくしが説明するよりも、直接ご覧になったほうが早いと思いますわ。クルーゼ様には、明日アスランと一緒にまた伺いますとお伝えしてありますから。」
「はあ。そうですか…。」
プランツドールなど自分にはまったく関係のない話だろうと思っていたために、なんとなくラクスの話も現実味を持って考えられなかった。たかが人形に、目の玉が飛び出るほど高額をつぎ込む人間の心理がそそも俺には理解できなかった。
 
 翌朝、ラクスと共にクルーゼ宅を訪れた。最近建立したばかりなのか、どこもかしこも新しく朝日にきらきらと輝いていた。床も壁も派手な装飾こそ施されていないが、細部に至るまでとんでもなくよい素材が使われている。こういった贅を尽くした環境に踏み入るのは久しぶりのことだったから、俺は少し圧倒されてしまった。
 長い廊下を歩いて案内された部屋は、薄暗くてどこか怪しげな部屋だった。10畳ほどのそう広くもない部屋の真ん中に、立体映像を写すことの出来る円形の装置が備え付けられていた。その向こうにコードが縦横無尽に撒きついている大きな机が見える。机には備え付けの画面があるようで、その画面がぼんやりとした光を放っていた。天井に明かりはなくひとつの窓も造られていないように見える。 
 画面が放つ光がおかげで、俺は何とかこの部屋についてこれだけの情報を得ることが出来た。
 それにしても、ラクスと俺をこの部屋に招いた張本人は一体どこにいるのだろう。そう思っていたら、机の向こうから、キイと音が聞こえた。その音は、どうやら机の向こうに置かれた椅子がこちらを向いたために発せられた音のようだった。椅子は真っ黒に造られていて、壁の闇に溶け込んでいて見えなかったらしい。
椅子に座っている人物を見たとき、俺はぎょっとして思わず後退ってしまった。その男は、顔の額から鼻までを覆う奇妙な仮面をかぶっていた。仮面の両側を、薄暗い中でもよくわかる鮮やかな金髪が波打っていた。瞳でさえも仮面で覆われているので、その男の顔がどんな表情をしているのかはまったく分からなかった。唯一出ている口は、堅く閉まっていた。
「おはようございます。クルーゼ様。お約束どおり、アスランをお連れしましたわ。」
なんとこの仮面の男がクルーゼだったのかと驚いていると、クルーゼは立ち上がり俺の前へと歩いてきて、手を差し出した。その手には白い手袋がはめられており、仮面といい手袋といい何だか他人を拒絶しているように思えた。俺も右手を出し、クルーゼと握手を交わした。
「はじめまして。君がアスラン・ザラか。噂は聞いているよ。パトリックの秘密の隠し子をアズラエルに取られまいと、ついには駆け落ちをしてしまった無謀な青年だとね。パトリック・ザラは、君が軽い病気にかかり療養のために田舎に行っていると言っているが。」
余計なことをべらべらと、しかもいやみな口調で話す男だ。初対面の男に、呼び捨てにされるのも気分がよくない。確かにこの男ではプランツドールは懐かないだろう。
「こちらこそ、はじめまして。ラウ・ル・クルーゼ殿。お言葉ですが、ラクスは父の隠し子ではありませんし、私たちはそのような関係でもありません。下世話な勘繰りはやめていただきたい。」
「おや、それは失礼。触れられたくない話題であったかな?では、これ以上気を損ねられてはかなわないので、本題に入りましょう。」
そう言ってクルーゼはポケットからカード型のリモコンを取り出した。2・3の操作をすると、立体映像の映写機が鈍い音を立てて動き出した。
「プランツドールを育てていただきたいという話は、ラクス様から聞かれたかな?」
微調整が上手くいかないのか、ぼんやりと映っているだけの映像とリモコンとを交互に見ながらクルーゼが聞いてきた。
「はい。聞いておりますが、なんでも公にはしたくない理由がおありだとかで。」
「そうなのだ。しかし、やましい理由からではない。私はただ、これからお見せする現象を他のものに先を越されたくないのだ。まあまずはこちらをご覧ください。調整が済みましたので。」
言われて、映写機を見るとそこには一体の少女型プランツドールが写っていた。腰まで伸びた細く柔らかな金茶色の髪に、唇は可愛らしいビンク色。肌はぬけるように白く、瞳はエメラルドに金が混じっていた。その瞳はどこか恍惚として、夢見るように潤んでいる。青白い布が幾重にも重なった、オリエンタル風の衣装を着けている。
 なるほど、これが財産を投げ打ってでも手に入れたくなるというプランツドールか。
「頭上にティアラのようなものが乗っているのがわかるかな?」
言われて頭上を見ると、確かに小さな可愛らしいティアラのようなものが乗っていた。
「これから映像を早送りするので、ティアラに注目していてくれ。私が公言したくない理由が分かってもらえると思う。」
クルーゼがリモコンを操作すると、ドールの映像が変化しだした。頭上のティアラが段々と大きく変化していく。つるが延びてふわふわとドールの上でゆれる。ティアラはどんどんと成長して、最後にはグロキシニアによく似た紅色の艶麗な花を咲かせた。そのつぼみが花開くさまは、とても言葉では表現できない美しさだ。その瞬間、ドールの頬は悩ましげに染まり、至福といっていいような表情を浮かべた。
 華とドール。その2つの美しさが混ざり、まさに桃源郷の仙女のようだ。
「これが理由だ。このティアラは、花冠という植物だ。正式に認められた名ではない。正式な名はないのだ。プランツドールを宿主として育つ。我々はこの植物を便宜的に花冠と呼んでいる。この映像はずいぶん古いもので、花冠について唯一映像として残っている資料だ。文献はもう少し多く残っているがね。花冠はプランツドールにしか根を張ることのない植物で、それぞれのドールの性質に合った花を咲かせる。そこでだ、君に依頼したいのは最高の花冠を育てることの出来るプランツドールを育てることだ。この映像の花冠はこのように真っ赤な花を咲かせているが、文献によると幻の"青い花冠"なるものがあるそうなのだ。私はそれが見たい。ずっとそれを咲かせることの出来る人間を探していた。そこで、ラクス嬢を見つけたのだ。だが、ラクス嬢に依頼したところ、君の方が適任だろうということでね。」
「なぜ、青い花冠がまぼろしなのですか?」
俺は、頭上に大きな花を咲かせたままで静止しているドールをぼんやりと見ながら言った。
「青い花冠は、通常の状態では育てることが出来ないからだ。プランツドールを育てるには、君も知っているだろうが愛情が一番の栄養だ。持ち主からの愛情をいっぱいに浴びてプランツは毎日を過ごす。しかし、それでは花冠は青い花を咲かせないのだ。このように、真っ赤・もしくは他の暖色系の鮮やかな色の花になる。青い花を咲かせるには、決してプランツが愛に満たされてはいけないのだ。」
「しかし、それでは枯れてしまうのではないですか?」
「いや、私の言う"愛が満たされない状態"とは、そういう状態ではないのだ。プランツドールには、様々なものがある。誰にでもなつきやすいものも、そうでないものもいる。しかし、やはり持ち主は自分に一番になついて欲しいと思うものだ。そうすると、必然的に上級のドールになればなるほど持ち主を選ぶ、ということになる。ということは、上級のドールであればあるほど、人の愛情というものに敏感ということになる。最上級のドールというものは、微妙な愛情でさえも受け取ることが出来るらしい。」
「微妙な愛情?」
「そうだ。例えば少々屈折した愛でも、その根底に隠されている自分への思いを感じ取る。また、愛に隠された哀しみ、というような感情でさえも感じ取る。そして、甘美な憂鬱として受け取ることが出来るのだそうだ。まさしく、青い花冠に必要なのはそれなのだ。愛の裏側に隠された哀しみ。それを栄養に、花冠は大きく美しい青色に花開くのだ。私は、それが見たいために没落しかかったこの家をここまで大きくした。君が引き受けてくれるのなら、プランツを育てる間は、ラクス嬢にも君にも何不自由ない生活を保障しよう。お父上にも見つからないように取り計らいもする。もちろん、報酬はそれとは別に用意させてもらう。どうだ?引き受けてくれるか?」
否、とは言えなかった。金はすでに底をついている。それ以上に"引き受けたら父に見つからないように取り計らう"と言うことは、引き受けなかったらクルーゼは我々を父に引き渡す準備があるということだ。
「わかりました。この話お引き受けいたします。しかし、その青い花冠を必ず咲かすことができる、というような約束は出来ませんよ。花冠どころかドールを枯らしてしまうかもしれない。それでもよろしいのですか?」
「君なら大丈夫だと信じているよ。アスラン。」

 翌日、俺とラクスは聳え立つビルの谷間にある一軒の店に来ていた。なんでも、この店はこの国で唯一プランツドールの販売をしている店なのだそうだ。店内には、香が炊かれていて不思議な甘い香りが立ち込めていた。
「いらっしゃい。俺は店主のディアッカ・エルスマンだ。ドールを買うなら、これからも何かと付き合いがあるだろうからな。よろしく。」
浅黒い肌に、鮮やかな金の髪をした男が店の奥から出てきた。
「あの"青い花冠"って知ってるかな?」
どう切り出せばいいのか分からなくて、俺は自己紹介を返すこともなく、いきなり本題に入ってしまった。
「おお、なんだ。よくそんなこと知ってるな。さてはマニアか?」
なんだか、軽い男だ。
「そんなんじゃない。頼まれたんだ。青い花冠を咲かせることの出来るドールを育ててくれ、と。」
「ああ、なるほど。へぇ〜。」
「その含み笑いはなんだ。」
「まあ、言いたいことは多々あるが、とにかくドールに気に入られなきゃ話になんないからな。青い花冠の話をもってくるくらいだ。金の心配はないな。俺が、紹介するよりも自分で見て回ってくれ。全てはドールがお前を気にいるかどうか、だ。俺は、茶の準備でもしてくるから、まぁゆっくり見てってくれ。」
そう言って、さっさと店の奥に引っ込んでしまった。
「どうしましょう…。」
俺はラクスを見ていった。ラクスは店の内装をきょろきょろと見ていた。
 店内は少し薄暗い。壁には、東洋風の布が幾重にもかけられている。その布と薄暗さから、この世ではないような不思議な空間に演出されている。
「先ほどの、ディアッカ様とおっしゃいましたか?彼のおっしゃるように、お人形を少しのぞいてきたらいかがですか?ほら、あちらにたくさんいるようですし。」
指された方向を見ると、少し布がめくれあがって向こうの部屋の様子を覗くことが出来た。隙間から、2・3の人形が覗いている。
「そうですね。じゃあ、少し見てきます。ラクスは来ないのですか?」
「育てるのはわたくしではありませんので。こちらでお茶のくるのを待たせていただきますわ。」
「そうですか。では…。」
 俺は、重たい布を掻き揚げて隣室へと入った。そこには一体一体椅子なりソファなりに丁寧に置かれて、可愛らしい服を着て目をつむっているドールたちがいた。ドールに気に入られるというのは、どんな状態なのだろう。一体一体見ながら歩いているが、ドールはどれも眠ったままだ。さして広くもないその部屋のぐるりを一周したときに、布に隠れてまだ部屋があるのを発見した。部屋というか天蓋に囲まれた一人用の特別室のようだ。俺は、どうしてだかその中が異様に気になってしまって下ろされている天蓋を開けた。
そこに置かれた人形を見たとき、俺は叫びだしそうになってしまった。それは、部屋に置かれているどのドールよりも美しかった。髪は、他の少女型のドールのように長くはなく、細い亜麻色の髪が頬にかかっている程度の長さだ。頬と唇はほんのり桜色で、うなじから覗く白く長い華奢な首筋が目に眩しかった。
思わず見とれていると、眠っていたドールがゆっくりと頭をもたげた。そして、俺のほうを向いた菫色の瞳は、ゆっくりと微笑みの形に変化していった。小さな手が俺の洋服に伸びる。そのかわいらしい動作に、頭をなでてやると、ドールは笑みをさらに深くした。
「あ〜あ。なつかれちまったよ。」
不意に後ろから響いた声に驚いて振り返ると、そこにはカップを片手にしたディアッカが立っていた。
「なつかれた?」
言葉の意味が分からなくて、ディアッカところへ一歩踏み出そうとしたら、クンと何かに洋服を引っ張られた。ん?と思って引っ張られた部分へ目をやると、ドールの可愛い手だった。
「アンタもその人形に気に入られるとはよっぽどなもんだな。そのドールはキラって言って、数少ないセクスレスなんだが…もうお前から離れないぞ。」
「え?離れないって…。」
「説明はあっちの部屋でゆっくりしてやるよ。キラはお前から離れないと思うから、一緒に連れてくればいいさ。こうなるだろうと思って、ミルクも沸かしといた俺ってやっぱ天才だな。」
キラと名のつけられているらしいドールの手を離そうと、少し引っ張ってみたが本当に離れなかった。仕方がないので、ディアッカが言うようにキラを抱えてラクスの待つ元の部屋へ戻った。
「あらあら。可愛らしいお人形さんですわね。あなた、名前なんと言うのかしら?」
俺の連れてきたドールを見てラクスは破顔した。
「キラ、と言うらしいですよ。」
「そう。キラ!ちょっとやそっとではお目にかかれないぜ?このクラスのドールは。もう最高級!青い花冠だっけ?そんなん余裕で咲かせちゃうぜ!な、キラ?」
やかましくしゃべりながら、ディアッカが今度は小さなミルクの入ったカップと共に現れた。
「そうなのですか?それではこの仕事成功したようなものですわね。アスラン。」
ラクスがうれしそうに言った。俺も正直な話ほっとした。俺のような人間を気に入る人形などいないだろうと思っていた。
「ええ。本当によかったです。」
心底ほっとした表情をした俺を、ディアッカが訝しげに見た。
「ちょっと待て。お前、青い花冠とかの話もしかして本気か?」
「え?ああ。本気だが、それがなにか?」
ずっとふざけた態度しかとってこなかった店主の声が、突然真剣実を帯びたので少々面食らった。
「お前、ドールに花冠を咲かせるってどういうことかちゃんと分かってる?」
「ドールを栄養として花冠が育っていく、とお聞きしておりますが違うのですが?」
ラクスが不思議そうに答えた。
「そうだよ。花冠は唯一ドールにだけ根を張る植物だ。ドールを栄養に育つ。つまり、ドールの養分を吸収するってことだ。よく考えろよ?ということは、当然花が咲いたときには…。」
「……か、かれる?」
「そうだ。枯れる。それを承知で育てるってんなら、キラもお前を気に入ったみたいだし俺はとやかく言うつもりはないが、そうじゃないってんならその仕事は断ったほうがいいな。どっちにしろ、人形は引き取ってもらうがな。」
俺とラクスは絶句していた。枯れるなんて考えてもいなかった。

  

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