メランコリィ■

 
「ご存知だったのですか?!」
 俺とラクスは、取り合えずキラをつれて店を後にした。その後すぐにクルーゼ宅へ向かった。
 穏やかでない俺たちの態度を見たクルーゼは、しかし口元に微笑さえ浮かべていた。
「もちろんだよ。しかし、言ってしまったのなら君は引き受てくれなかっただろう?」
「当然です!!枯らしてしまうことが分かっていて育てるなんて……俺には出来ませんっ!ご自分でお願いします。俺は降ります。」
「おや、今更君はそんなこと言えないはずだがね。君が断ったのならラクス嬢はどうなる?それに、そのプランツドール。すっかり君になついているようじゃないか。」
キラはラクスが連れていたはずだが、いつの間にか俺の服のすそに隠れるようにしていた。
「それに、何度も言ったが私では駄目なのだよ。君のそのドールが証拠だ。決して私に近付こうとしない。」           「しかし!」                                                      「アスラン。もう君に拒否権はないのだよ。約束どおり君たちがそのドールを育てる間、君たちの生活は保証しよう。ただし、私の目の届くところでだがね。」
 
 結局、俺たちはクルーゼに逆らうことは出来なかった。あの後、俺たちは屋敷の裏にある大きな塔のようなところに連れて行かれた。案内役のメイドが、部屋を一つ一つ説明して回った。そこは、俺とラクスとドールが暮らすには十分すぎるほどの広さだった。
 たくさんある部屋の中で一番日当たりのよい部屋が、キラの遊び部屋として用意されていた。たくさんのおもちゃや絵本に囲まれた部屋。その部屋の壁には廊下に通じる扉以外に2つ扉がついていて、右側の扉はキラと俺の寝室への扉らしい。
 寝室は中央に天蓋付きの大きなベッドがひとつ置いてあるだけの部屋だ。俺も一緒に寝ろということらしい。この寝室は、ラクスの寝室とつながっている。寝室にはそれぞれにトイレと風呂が備え付けられていた。
 もうひとつの扉は、台所に通じていた。キラのためのミルクを温めるためだけに用意されている。俺たちの食事は専用のメイドが用意してくれるとのことだ。正に、至れり尽くせりだ。食器棚には、驚くほど多くのティーカップやマグカップがそろっていた。それらの脇に、ビー玉のようなとりどりの色をした玉の入った丸い瓶があったので、あれは何かと聞いたところ、香り玉ですと案内役は答えた。どうやらプランツドールの好む飴玉のようなものらしい。
使用人も嫌というほど大勢ついている。俺の仕事はといえば、キラの世話だけだ。毎日三度ミルクを温める。

 キラは、プランツドールとしては珍しく比較的よくしゃべった。
 塔に連れてこられてから初めの2・3日は、まったく話さなかった。ただ、俺が名前を呼ぶとうれしそうに笑う。逆に、俺が少しでもキラの側から離れると今にも泣き出しそうな顔をする。
 ある日、俺はキラに飲ませてやるためのミルクを温めに、備え付けられている台所へ立った。いつもはキラもついて来て、俺の動作を楽しそうに見ているのだけれど、その日はよく眠っていたのでラクスに任せて俺一人で台所にいた。すると突然、隣の部屋から「アスランどこ?!アスラン?」と叫ぶ声が聞こえてきた。驚いて駆けつけると、キラが泣きそうな顔をして俺を呼んでいた。ラクスが困ったような、どこか楽しそうな顔でそれを見ていた。俺の姿を認めた途端、キラは勢いよく俺に抱きついた。
「アスラン!どこ行ってたの?どうしてちゃんと僕のそばにいてくれないの?!」
 キラがそういう様子だったから、普段は人見知りが激しい俺もキラとはすぐに打ち解けることが出来た。

 キラは毎日を楽しそうに過ごしていたし、俺はキラの楽しそうにしている姿を見るのが楽しかった。俺が手の届く範囲にいるだけで満足なようで、一緒になって遊んでやることはそんなに多くなかった。キラが上手に一人遊びをしているのを、俺はそのすぐ側に座ってみていた。でもそんな時、不意にキラが僕のほうを見てその幼い顔に似合わない、切なさを含んだ潤んだ瞳をすることがあった。それは大抵俺が"青い花冠"について考えているときだった。キラは、何も言わなくてもこの先自分に何が待っているかを察しているようだった。
 俺が笑いかけると、キラも笑い返す。その瞳の深い紫を見ると、俺はキラが可哀想で愛しくて仕方がなくて、思わず涙があふれてくることもあった。

「アスラン、本当によろしいんですの?キラと出会ってから、あなたは少し変わりました。今までに見たこともない優しい顔をしています。元はといえば、わたくしが引き受けてしまった仕事です。あなたがキラを連れてここから出たいとおっしゃるのなら、わたくしは精一杯協力したいと思っています。」
 ラクスは、何度も俺にそう聞いてきた。
 初めは確かに仕事だと思って引き受けたのだけれど、その頃にはもうそんなことはどうでもよくなっていた。クルーゼに保護されているこの環境は、プランツドールにとって最高に素晴らしいものだ。この環境を離れて、キラが今のように美しい状態でい続けることは無理だ。俺はキラの美しさを損ねたくなかった。
「いいんです。もうここを出るなんて少しも考えていません。ここの生活は快適だし、キラを育てるのにも最適だ。」
「でも、まだキラには花冠が植えつけられてはいません。今ならまだ大丈夫です。……先程、クルーゼ様から一週間後に花冠の苗を植えると連絡がありました。アスラン。プランツドールに最も必要なものは、快適な環境ではありません。持ち主からの愛情です。あなたのキラへの愛情が、環境の悪さに負けるとは思えません。」
俺は、それを聞いてぞくりと背筋が粟立った。一週間後にキラに苗を植えつける。それを植えたら最後、キラは最高の一瞬のためにだけに存在することになる。
……枯れる!!
俺は心のもっとも深い部分、自分でも今まで知らなかった、知りたくなかった暗い感情の扉が音を立てて開くのを感じた。それはきっと、クルーゼに初めてプランツドールの映像を見せられたときから、開くときを今か今かと待っていた感情だ。
俺は、喜んでいた。キラに蒼い蒼い花が咲くことを喜んでいた。キラの真っ白な心の中に、キラを失ってしまうことに対する俺の悲しみと、キラが美しい蒼い花を他の誰でもない俺のために咲かせようとすることに対する暗い幸福感によって、淀んだしみが広がっていくことを喜んでいたのだ。                                                 それを阻止しようとするラクスが煩わしくさえ感じられた。
「いえ、本当にいいんです。もう決めましたから。」
「そう、ですか……」
ラクスは俺から今までとは違った想いを感じ取ったのか、それ以上は何も言わなかった。俺はその後キラにミルクを与えてやったり、昼寝に付き合ってやったりしてラクスのことをすっかり忘れていた。だから、ラクスがどんなに思いつめているかが分からなかった。

 その日の夜、事件は起こった。ラクスがクルーゼの私室へ、単身侵入した。
 彼女は、クルーゼが育てている花冠の苗を壊そうとしたらしい。花冠はある程度の大きさになってからドールに植えつけるので、それまではクルーゼが彼自身の手で育てていたのだ。用心深いクルーゼのことだから、育てるとしたら常に手の届く自室だろうと考えたらしかった。
 たくさんのセキュリティをかいくぐり、クルーゼの部屋へ入ったラクスはベッドの枕元に置いてあった小さな鉢植えを叩き割った瞬間、警備員に捕まった。

「監禁?!」
 俺が事の次第を知ったのは翌朝のことだった。俺とキラが起きだしても、ラクスの部屋からは物音ひとつしなかった。でも、まあラクスだって偶には寝坊することぐらいあるだろうと思っていた。いつもの通り、キラのためのミルクを温めているとき、連絡もなくクルーゼがやって来てその話を聞いた。
「監禁といっても、屋敷の客間に入ってもらっているだけだ。監禁というより、軟禁といったほうが正しいな。ラクス嬢が壊した鉢はダミーだったのでね。本物は、誰にも見つからないところに隠してある。」
「でもっ!どうしてラクスはそんなことを…。」
「おや、君は彼女から何も聞いていないのかね?」
「昨日、あなたから一週間後に苗を植える準備が出来たという連絡を受け取って、本当にそれでいいのかとラクスに聞かれました。それで、私はそれでいいと答えて…。」
「君はキラ君に夢中で、駆け落ちまでしてきたラクス嬢のことをすっかり忘れてしまったようだね。」
「ですから、私たちは駆け落ちなどしていないと何度言ったら…。」
「アスラン、話の要点はそこではない。君はここに来てからのラクス嬢を見ていて何も感じなかったのかね?」
言われて思い返してみたが、ちっとも分からなかった。
「…ラクスは優しいから、キラが枯れるということに我慢できなかったのかもしれません。何度も『キラを枯らしていいのか』と聞かれましたから。」
クルーゼは俺の返答を聞いて、おかしそうに笑った。
「半分は正解だ。しかしもう半分が分からないということは、何も分かっていないということに等しい。」
「私が、一体何を分かっていないと言うんです。」
「ラクス嬢は、キラ君を愛していたのだよ。」
 一瞬何を言われたのか理解できなかった。ラクスがキラを愛している?まさか!そんな、そんな素振りを見せたことは一度もなかった。
「本当に知らなかったようだね。これは嘘ではないよ。彼女の口から聞いた真実だ。」
「で、でも。だったらどうして俺にそう言ってくれなかったんだ!」
「おやおや、君の口からそんな言葉が出てくるとは。私は君を過大評価しすぎたかも知れんな。」
「…え?」
「どうしてラクス嬢が君に言える?君自身、彼女のことをまったく気に留めなくなってしまうほどキラ君に夢中だったのに。それに」
言いかけて、クルーゼはもったいぶって言葉を切った。
「それに、何です?」
「それに君は、キラ君が枯れるのを見たいんだろう?君のために花開き、君のために枯れてゆくキラという美しい花を見たいのだろう?」
俺は言葉が出なかった。誰にも知られてはいけない俺の最も暗い部分を、クルーゼは事も無げにさらりと言った。
「そんなに驚くことはない。君にあの映像を見せたときから、君が私と同じ感情を持つだろうということは分かっていた。そして、おそらくラクス嬢もそれに感づいたに違いない。君の愛は、青い花冠を咲かせるに最適な愛だ。だが、彼女の愛は違う。ドールを育てる人間を君にしたのは正解だった。彼女の愛は全てを包む愛だよ。ほら。もしキラ君が彼女に育てられてのなら、そんな表情は決してしなかっただろう。」
俺の後ろに隠れていたキラを、クルーゼは満足げに見た。
 キラは、以前クルーゼにあったときとは全く様子が違っていた。確かに俺の後ろに隠れてはいたが、もうクルーゼを怖がってはいないようだった。むしろ、挑発的に上目遣いでクルーゼを見ている。その瞳は俺に優越感を与えるには十分な役目を果たしていた。キラは、クルーゼの自分への執着を感じ取っていた。しかし、キラはクルーゼのその感情を明らかに見下していた。キラの気持ちは一心に俺へ向かい、それでも自分に執着しているクルーゼを侮蔑していた。その侮蔑を全身で表していた。初めて見せるキラの表情は、最高に美しかった。                                                      快活に笑うことよりも、暗い感情に身を染めた姿のほうが、キラの美しさを際立たせでいた。
 ラクスは、俺の感情によって染まっていくキラをずっと見ていたのだ。相談など、するはずがない。
「ようやく理解していただけたようだ。さて、私はそろそろ退散するとしよう。次に会うのは一週間後だ。」
そう言ってクルーゼは部屋を出た。扉を閉める瞬間ボソリと声が聞こえた。
「邪魔なラクス嬢のいない、一週間の蜜月を楽しみたまえ。アスラン。」

一週間はあっという間に去った。そしてその一週間の間、俺はクルーゼの言ったようにキラと二人だけの時間を楽しんだ。
 閉じ込められたラクスを、いい気味だとさえ思った。そんな時俺は自分が怖くなった。やはりキラにとってラクスはとても危険な存在だった。ラクスがいたら、キラはその明るい光につられてしまうかもしれない。いくらキラが俺を持ち主と認めていても、ラクスの愛はそういった根底に存在するものさえも打ち破る力があるように感じる。ザラの家にいたときは、少しもそんな風に強い面を見せなかった。いや、ラクス自身もそういう自分を知らなかったのだろう。気付かせたのは、キラだ。キラに出会って変わったのは、俺ばかりではない。

 一週間目の朝、クルーゼはラクスと共に小さな鉢植えを手に現れた。
俺はその鉢植えをクルーゼから受け取ると、まるで洗礼でも施すかのようにキラの頭上にティアラのような苗をのせた。その瞬間、キラの表情はいっそう美しさを増したかのように見えた。
 キラ自身も待っているのだ。自分が一番美しく輝くそのときを。花を咲かせるその瞬間、キラは地上に舞い降りた天使さながらに美しく輝くだろう。
 ラクスは始終キラを悲しそうに見つめるだけで、決して俺と目をあわそうとはしなかった。でも、もうそんなことはどうでもよかった。
結局ラクスは一言も言葉を発することのないまま、来たときと同じようにクルーゼと共に部屋を出て行った。

  

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