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アスランが食堂に行くと、キラもラクスもすでに席についていた。
「おはようございます、アスラン。」
「おはよう。ラクス。」
アスランは、何故だかキラをしっかり見ることができなくて視線をそらしながら答えた。それを、アスランが昨夜のことについて不愉快に思っているのだと解釈したのか、ラクスは立ち上がって言った。
「昨夜はキラが失礼をして、本当にすみませんでした。ほら、キラ。ちゃんとご挨拶して?」
「もうしたよ。さっきベランダで会ったんだ。ね?アスランさん。」
そう言ってキラは、顔中笑顔でいっぱいにしながらアスランを見た。
「あ?ああ!そう!!そうです。もう先程キラ君はちゃんと謝りました。」
その笑顔を見たとたん、アスランはまた不整脈が起ったように心臓が激しく高鳴り、顔がカッと熱くなった。
「アスランさん!僕のことはキラでいいって言ったじゃない。」
「え?」
「えっ?て、さっき聞いてなかったの?これから一緒に住むのに、キラ君なんて他人行儀でしょ?だから、僕のことはキラって呼んで。」
アスランは、キラの言っていることをすぐに理解することができなかった。
「は?え?何?一緒に住むって…誰と誰が?」
「そんなの、僕とラクスとアスランさんだよ。決まってるじゃない。」
「ええ?!ラクス?どういうことですか?」
アスランがラクスに説明を求めるが、ラクスも初耳だったようで、寝耳に水といった様子でキラを見ている。
「そんなこと、私も初耳ですわ。キラ?一体どういうことですの?誰がそんなことを決めたのですか?ちゃんと説明を…。」
「僕が決めたんだよ。昨日ね。今回僕は、ラクスの結婚を止めようと思ってここに来たんだよ。もっと早く着く予定だったのに、なかなか放してくれなくて昨日になっちゃったけど。クラインの家に行ったら、ラクスはもう式を終えて新居に居るって言うから、急いで来たんだ。幸い2人はまだベッドインする前だったから、何とかして初夜を防ごうと思った。で、昨日の初夜は防げたけれど、僕がこの家を出たら同じことでしょう?だから僕は今日からここに住むことにしたんだ。」
「キ、キラ君。それは、俺がラクスの夫として相応しくないということか?君は、その、そんなに俺のことが嫌いなのか?」
アスランは、先ほど一気に上った血液が、今度はサーっと音を立てて下がっていくのを感じた。
「嫌いなんて言ってないよ。ってか、嫌いになるほどアスランさんのこと知らないし。要するに僕が言いたいのは、誰であろうとラクスとの結婚を認める気はないってことだよ。」
自分のことを嫌っていないという一言にひどくほっとしながら、アスランは自分自身に違和感を覚えた。
ここは、ほっとしていいところではない。この結婚は、その背景にある政治や金の動きもわからない13の子供のわがままに振り回されるわけには行かないものだ。それなのに自分は、キラの嫌いでないというその一言にだけ、反応してしまっている。これではダメだ。
不安定な自分自身をなだめて、アスランは冷静になろうと努めた。
「キラ君。僕とラクスの結婚は、君のような子供が口を挟めるような問題ではないんだ。もう決定してしまったことだ。」
言いながら、アスランは内心自分の言葉におびえていた。さっきは嫌いではないと言ったが、こんなことを言ったら、本当にキラに嫌われてしまうのではないだろうか。だが、自分は立場上こう言う他ない。
「うん。それはわかってる。でも、籍とかそんなものは所詮カタチでしょ?それに関しては僕も諦めた。僕が止めたいと思ってるのは、二人の体の関係だよ。」
「か!体の関係?!」
キラの柔らかで清らかそうな唇から、まさかそんな言葉が出てくるとは夢にも思わなかったアスランである。本来奥手のアスランの顔は、また真っ赤になっている。
「アスランさんは、赤くなったり青くなったり、何回も忙しい人だね。とにかく、僕は今日からここに住むことにしたから、よろしくお願いします。それから、何度も言うけれど、僕のことはキラでいいよ。」
「待ってください。キラ、あなた学校はどうするのですか?ここから地球に通うなんてことは、できませんわよ。」
それまで黙って二人を見てしたラクスが尤もなことを言った。
「それだよ!僕がここに来るのに時間がかかった理由は。もともと、僕はこっちで研究したいことがあったんだ。地球よりプラントのほうが進んでいることもいろいろあるから。幸い大学のほうから資金を出してもらえることになって、プラントで一年間研究に専念することになったんだ。なのに、ゼミの人たちとか教授とかがプラントに行く前に手伝って欲しいことがあるって言って、山ほど仕事を押し付けてきて…。まあ、それも無事片付けられたからいいんだけど。というわけで、どっちにしろ僕は一年間プラントに住むんだよ。クラインの屋敷じゃあ何かと不自由だし。」
「……わかった。君が一年間ここに住むことを許可しよう。」
「アスラン?!」
当然反対するだろうと思っていたアスランが、たいして考えもせずに言ったので、ラクスは耳を疑った。
「いいでしょう?ラクス。正直に言うと、僕はまだあなたと結婚生活を送る自身がありません。なんと言っても、僕らはお互いのことをあまりよく知りません。準備期間のようなものがあってもいいじゃないですか。それに、彼もこれから住むところを探すのは大変です。」
「アスラン…。あなたがそう言ってくださって、わたくしもうれしいですわ。ありがとうございます。」
ラクスはアスランに向かって頭を下げる。
「アスランさん!ありがとう。」
「アスラン、でいいよ。キラ。これからよろしく。」
そう言ってアスランが右手を差し出すと、キラはうれしそうに両手でその右手をぎゅっと握った。
「うん!僕のほうこそよろしく。アスラン!」
アスランは、朝食を終えて自室に戻った。新婚旅行を断ったおかげで、式の翌日だというのに朝から仕事に行かなければならない。
髪を整えながら、鏡に映る自分の顔を見る。それは確かに自分の顔なのに、なんだか自分の顔ではないような気がした。
キラをこの家に滞在させる決断をしたとき、俺は何を考えていた?あのとき、俺はラクスのことなどこれっぽっちも思わなかった。ただ、キラをこの家にとどめておきたいと思った。俺が「よし」と言うだけで、キラを俺に傍にとどめて置けると、そう思っていた!
アスランは愕然とした。自分の感情に気がついてしまった。
「信じられない…。俺は、キラに恋している…?」
*
「キラ、ごめんなさい。あなたがここまでしてくれるとは思っていませんでしたわ。」
アスランが仕事に出た後、家にはキラとラクスが残された。テラスに出て、お茶を飲もうと提案したのはキラだ。
「ラクス。そんなの全然気にしなくていいよ。研究のためにこっちに行ってみたらどうかって言う話は、ずっと前からあったんだ。来たいと思ってたのも本当だし、タイミングが上手く重なっただけだよ。」
しかし、ラクスはそれでもじっとうつむいたままだ。
「ねえラクス?僕だってラクスのことが大好きで、ラクスと一緒に住みたいって思うってことを忘れないでよ。」
「ええ。そう、そうですわね。本当にありがとうキラ。お互いに愛し合っていないことはわかっていた結婚ですけれど、私とアスランが結ばれると言うのは、ちょっと考えにくいことでしたので。」
「そうだよ!だいたいアスランだって失礼だよ。『正直に言うと、僕はまだあなたと結婚生活を送る自身がありません。』なんてさ。だったら結婚なんかするなよ!」
キラは、先ほどのアスランの言葉を思い出して、憤懣やるかたないといった様子で、勢いよくお茶を飲み干した。
同じように、キラの言葉によってラクスも朝食の様子を思い出した。そして、どうしようかしら、と考えた、しかし最愛の弟のこれからの生活を案じて、やはり言っておいた方がいいだろうと決めた。
「その、朝食のときの話なんですけど、キラはアスランの様子がなんだか変だとは思いませんでした?」
クッキーへと手を伸ばしていたキラは、その言葉にきょとんとした。
「変って言われても…。僕は昨日アスランに会ったばかりだから、わかんないよ。何か変だったの?」
「変と言うか…その。」
「え〜。はっきり言ってよ。気になるじゃない。」
ラクスはそれでもすぐには言わずに、キラの顔をじっと見た。
キラの顔は身内の欲目を除いたとしても、世界で一番可愛いと思う。ほっそりとした体も、成長と中の少年の清々しさを感じさせる。アスランはキラの性格をよく知っているわけではないから、やっぱりこの辺りかしら。
「よく聞いてくださいね。じわたくしが今から言うことを真面目に聞いてください。冗談を言うわけではありませんからね?」
「…うん。わかりました。」
「アスランは、あなたのことを好きになってしまわれたようですわ。」
「ええ?!」
キラはものすごく嫌そうに顔をゆがめた。生まれたときから今日まで、キラは自分の顔が整っていることを喜んだことはなかった。
女の子と間違われることが、一番気に入らない。自分は男だ。その上、男とわかってもなお自分に近づこうとする者もいる。13歳という幼さで大学に通っているという点から考えても、この顔はよくない。あとほんの少しでも凛々しい顔をしていたら、馬鹿にされることも少なかっただろう。
「何?アスランてそういう人なの?幼年学校を卒業するかしないか〜ぐらいの少年が趣味の人だったの?」
「少年愛のご趣味という話は伺ったことはありませんけれど…。ですが、キラ相手ならそうであろうとなかろうと好きになってしまいますわ。」
「何言ってんのさ〜。」
キラは机にへたり込んだ。ちらりと、ここに来たのは失敗だったかもしれないと思ってしまった。
「でも、まだ確定したわけではありませんから、そんなに気を落とさないで。それに、どちらにしろ少なくともアスランは紳士的な方ですから、貞操の心配はしなくてもよろしいですわ。」
「貞操って…ラクス、なんてこと言うのさ。」
「あら!今更13歳の少年のお顔をしても遅いですわよ。お父様もわたくしも、フレイさんとのことは伺っておりますからね。」
「うそ!」
キラはがばりと体を起こした。顔が真っ赤に染まっている。
「本当ですわ。大学に通っているあなたの行動に指図するのはどうかと思いますけれど、自分はまだ13歳だということを、もう少し念頭に置いて行動したほうがよろしいですわ。そういう噂はこの世界ではあっという間に広がるものですもの。」
「うん、そうするよ。僕荷物の整理してくる…。」
年相応の小さな背中は、とぼとぼとテラスを後にした。
ラクスはラクスで、内心まるで小姑のような口調になってしまった自分を恥じていた。ラクスはキラを愛していた。しかしその気持ちは、色恋のそれとは少し違っていた。進展するとか、そんなことは考えたことがない。何しろ義理とは言え、戸籍上は家族だ。ただ、キラが幸せな一生を送ることができるように、ずっと見守っていたいとは思っている。
「あちらもこちらも、前途多難ですわね…。」
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