☆アスラン君の初恋☆


その日、アスランが仕事を終えて家に帰ったのは、彼のそれまでの仕事振りから考えると、ずいぶんと早い時間だった。
定時が来ると同時に席を立ったアスランを見て、同僚のディアッカは「朴念仁のアスランでも、さすが世界の歌姫ラクス・クラインとの結婚はうれしかったみたいだなぁ。」と、からかった。同じく同僚のニコル・アルマフィがそんなディアッカの発言をとがめたが、当のアスランにはその声さえも届いてはいなかった。
大急ぎで荷物をまとめると、「お疲れ様です」と歩きながら早口で言い、さっさとオフィスを後にした。
家までの道のりが、いつもより長く感じられる。信号が変わったと言うのに、なかなか走り出す様子を見せない前方の車を見て、どちらかと言えば気の長いほうのアスランらしくもなく、チッと舌打ちをした。
クラクションを鳴らそうかと思ったとき、漸く前方の車が走り出した。急いでいるのにこれ以上待たされるのはごめんだと、アスランは裏通りに入った。


裏通りには信号が少ないので、たくさんの店舗が軒を連ねている。アスランにはあまり縁のないファーストフードの店もたくさんあった。キラと同じ年頃の少年少女が、楽しそうにハンバーガーをかじっているのがガラス越しに見えた。
自分はこういう場所にあまり来なかったけれど、キラはどうなのだろうと思った。まだカレッジに通っている学生だが、特許などをとっているという話も聞いている。だとすれば、自分のようにファーストフードとは縁のない生活を送っているのだろうか。
直接聞いたわけではないが、きっとそうに違いないと断定して、アスランはうれしくなった。自分とキラの共通点を見つけたような気がしたのだ。
普段は見事なポーカーフェイスを保っているアスランの頬が不自然に緩んだとき、ふいに彼の視界に真っ赤な色が飛び込んできた。何となく気になってそちらに目を遣ると、それはかわいらしい少女の髪の毛だった。ラクスは穏やかな彼女の雰囲気にぴったりあった、ピンク色の髪をしているが、少女の髪はまるで燃えるようだった。頻繁にある色ではない、しかし特別珍しい色ではなかった。なぜ気になるのだろうと目を凝らすと、少女の向かいには、なんとキラがいた。嬉しそうに頬を高潮させて、ポテトを一本口に含んでいる。少女はキラよりの年上に見えたが、二人は中むつまじそうな様子だ。どういう関係なのかとひどく気になったが、突然声をかけるのもはばかられて、後ろ髪を引かれるような思いでアスランはその場を去った。
家に着いたが、やはりキラはいなかった。ラクスにキラの行方を尋ねたかったが、何故そんなことを聞くのかと問われたら、答えられない。
アスランは部屋に明かりもつけないまま、一人悶々と考え込んだ。



コンコンと扉をノックする音に、アスランは我に返った。どうそ。返事をすると、なんとキラが部屋に入ってきた。
「アスラン、夕飯だって。電気もつけないで何してるの?」
キラは不審そうににアスランを見ながら、部屋に電気をつけた。
「い、いや…少し考え事をしていて。それより、いつ帰ってきたんだ?」
「さっきだよ?何で?」
「その、今日帰りがけに見かけたから…」
「僕を?どこで?」
「ファーストフードの店で。赤い髪の女の子と一緒にいるのを、見たんだが。」
「ああ。なんだ、声かけてくれればよかったのに。可愛かったでしょ?彼女、フレイって言うんだ。」
「そうか。…彼女とは、親しいのか?」
「うん。付き合ってるんだ。」
「は?」
「だから、付き合ってるんだよ、僕。フレイと」
「何で?」
「何でって…好きだからに決まってるじゃない。」
アスランの視線が不自然にあちこちに飛んでいるのを見て、キラはこっそりとため息をついた。ラクスが言ったことを完全に信じたわけではないが、アスランの態度はそれを否定しきれるものではない。むしろ肯定しているようにすら見える。そのような感情を向けられること自体面倒であったが、恋人がいると言っておけば、このきれいな顔をしたお坊ちゃんは自分への感情を諦めるだろう。
どちらも口を利かないままの不自然空気は、ラクスの涼やかな声によって破られた。
「キラ?アスラン?お二人とも早く食堂へいらしてください。せっかくの食事が冷めてしまいますわ。」



アスランがむっつり押し黙っているせいで、その日の夕食は終始、何となく気まずい雰囲気が支配していた。
「キラ?アスランに何をしたんですか?」
食事を終えたキラが、テラスで暖かくなってきた春の夜空を楽しんでいたら、後ろからとがめるような声音がした。
「何もしてないよ。人聞きの悪い。」
「では、先ほどのアスランの態度は何ですか?」
「アスランが帰りに僕とフレイを見たって言ったから、付き合ってるって言っただけだよ。」
「まあ、それは…お気の毒ですわ。アスラン。」
「お気の毒?」
キラが思い切り不満げな声を上げた。
「お気の毒なのは僕だよ。男に惚れられるなんて」
唇を尖らした最愛の弟を見て、ラクスは微苦笑を浮かべる。
「そんなのに邪険に思ってはいけませんわ。」
「ラクス?何でそんなにアスランを庇うの?もしかして、好きになっちゃったの?」
いぶかしそうに、キラは眉根を寄せた。
「そうではありませんわ。」
可笑しそうにラクスはころころと笑い声を上げた。
「じゃあ、なんで?」
「だって、アスランはきっと初めて誰かを好きになるという感情を知ったのですわ。それを、あっという間に失恋では、あまりにも可哀想です。」
「なにそれ?初恋ってこと?だからって、その対象が僕じゃあね。僕はフレイが好きなんだし。ってか、ぬくぬくと育ったお坊ちゃんが、結婚で動揺して感情を取り違えたんじゃないの?つり橋効果、って言うんじゃなかった?そういうの。」
「きっかけは何であれ、恋は恋ですわ。」
「もう。とにかく僕はアスランなんかお断りだよ。姉の夫と不倫なんてぞっとするよ。ラクスも、面白がってアスランをたきつけたりしないでよ。」




                   

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